• 蔵王をのぼりてゆけばみんなみの吾妻のやまに雲のゐる見ゆ

    高見屋の歴史を温ねる

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    蔵王温泉の神話と伝説

    蔵王温泉は古くは「最上高湯」と呼ばれ、その発祥は1900年前の十二代景行天皇の時代、皇子の日本武尊(やまとたけるのみこと)が「吉備多賀由(きびのたがゆ)」という随臣を従えて東国の制圧に赴いた際、現在の蔵王温泉がある場所に差しかかると、多賀由は敵の矢を受け、「瀧山(りゅうざん)」の山頂に逃れました。

    そこから東側のふもとを見下ろすと、岩場にわき出る豊かな湯を発見し、早速山を下り体を湯に浸すと癒されて、早く傷が治ったそうです。

    以来、薬湯として尊ばれ、吉備一族の誉れ高い武将の「多賀由」の名にあやかり「高湯」の二文字に変え、温泉の地名に反映させたと言い伝えられています。

    霊峰「蔵王」の誕生

    後の鎌倉期以降、和歌山県の熊野三山を本拠地とする「熊野信仰」は全国的に布教され隆盛を極めましたが、時に蔵王はまだ「不忘山(わすれずのやま)」と呼ばれており、熊野派の修行僧たちは噴火で形成された最も高い荘厳な峰を「熊野岳」と命名しました。

    そして、山岳修験の祖とする役小角(えんのおづぬ)が霊感で創造したとされる修験者の護身仏「蔵王権現」を祀り、さらに行者たちは、神や仏の姿が火口(御釜)の清らかな水面に映ることを念じて修業したことから霊峰「蔵王」の山名が誕生したと言われています。

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    高見屋旅館の創業

    江戸時代半ばの1716年(享保元年)、徳川吉宗が八代将軍に就いた年の十二月、高見屋は二代目彌平治(やへいじ)によって創業されました。

    時に幕府は財政再建と支配体制の再編を行ったいわゆる「享保の改革」の最中、山形の藩主は堀田正虎でした。その改革の波は地方にも及び、享保十年の「高湯村覚書」という文書には「当時、高湯村に湯宿が十七軒あり、緊縮政治下で経営が振るわず、村は正徳期に続いて二度目の大火に遭い貧窮に陥ったが、正虎の施策でどうにか立ち直ることが出来た」と記されています。

    正虎の養子、正亮が官職名を「相模守」と名乗り、山形藩主についた頃、豊富ないで湯の高湯村に注目した正亮は、経済の活性化を図り、高湯を含むふもとの南山形一帯に、自分の堀田の姓を与えて「堀田村」と命名。以後、高湯村は「堀田村高湯」と改称され、今日の一大観光地に発展する礎になりました。

    信頼される湯宿へ

    江戸時代後期は商業の発達や伊勢参りなどが流行し、民衆の移動が活発になって各地に旅宿も多くなりました。

    そこで「東講商人鑑(あずまこうあきんどかがみ)」という携帯に便利な木版刷りの冊子が発行され、「東講」と書いた木札を掲げた宿は、丁寧な接待を受けながら一般の旅人も安心して泊まれる宿として重宝がられました。特に高湯温泉は一際目につく景観が描かれて紹介されています。

    現在の高見屋旅館を示す「彌平治」の名のほか、十四軒の湯宿の屋号が明記され、信頼された湯宿だったことが確認できます。
    このような冊子の出現によって旅の範囲がより広がり、山深い高湯温泉にも多くの旅人が足を運ぶことになりました。

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    九代目・彌平治重知の教え

    東講商人鑑が出版された当時の高見屋主人は、岡崎家九代目、彌平治重知(しげとも)と称しました。

    重知が41歳を迎えた1836年(天保七年)、全国的な飢饉に見舞われ、約十万人の死者が出たそうです。相次ぐ惨事で苦労を強いられた村人の暮らしを考えると、重知は高湯の湯宿の経営の在り方に安心はできませんでした。

    そこで、将来、子孫たちが気を引き締めて家業の経営に当たる事を願い、私有地に9999本の杉のを植栽。あえて1万本に1本省いたのは、現状に満足せず常に将来を考え努力を怠るなという思いが込められ、その教えは歴代の当主に受け継がれています。

    1859年(安政六年)「庭訓」と題した八項目から成る文書を記しました。重知が残したこの戒めの文書は、代々岡崎家の家宝として受け継がれ、宿の経営に大きく生かされています。

    創業300年を迎えた老舗旅館へ

    藩政期に入り、高湯村は木賃宿を営む農家も軒を連ねて多方面から旅人が出入りし、特に東講商人鑑に登録されている旅籠には参勤交代で入れ替わり山形藩主が訪れ、湯治を楽しんだと言われています。その中で高台に構える高見屋からは見晴らしがよく、藩主によっては常宿にしていました。

    老舗の高見屋を好まれ、常宿としてお泊りになられた皇族の方々もおられます。1941年(昭和十六年)三笠宮さまをはじめ、昭和二十五年には高松宮さまが。翌年には天皇陛下が皇太子時代に三人のご学友と四日間、宿泊されています。

    こうした数多くの思い出が残された老舗旅館「深山荘高見屋」は、創業300年を迎えました。蔵王の発展とともに築いてきた信頼とおもてなしの心を、未来永劫忘れる事なく営んでまいります。

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    高見屋旅館が、永年にわたり保存した約1,000点の品々。

    蔵王の歴史と文化に触れる美術館「わらべの里」

    当館が運営する「わらべの里」は、5棟の建物からなり、1棟々・展示物として後世に残したい、伝統ある家屋や土蔵を復元いたしました。各展示館は明治天皇行在所など、歴史・文化・芸術的に極めて価値のある建築物です。また、菊池寛や深田久彌、里見弴をはじめとした文化人が数多く来館され、その時記念に書き残した色紙や書、絵画なども展示しております。

    そうした品々は、美術品としてだけでなく当時の歴史・文化・生活・芸術等を知る意味でも貴重な品々であり、分類展示して後世に残すべき物と考え、蔵王に訪れるお客様に広く観賞される事を願っております。

    十六代当主 岡崎彌平治

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    重厚な蔵や旧家など、五つの棟を巡る。

    行在所

    明治14年、天皇のご休息の場として最高の資材、最高の技術で建てられた木造建造物です。四間に七間半の大きな建物の柱等の木材が唯一本の木のものから採られているため、木のたちといい、色と言い皆ほとんど同様で、建築上からも一見する値は十二分にあります。

    庄屋の蔵

    明治中期に建てられた、河北町の堀米家の米蔵で、2階建土蔵です。玄関は山形士の老舗であった後藤又兵衛旅館の玄関を復元しました。内部には、位の高い女性の調度品、旅館の調度品、文人の書、豪商や豪農等の歴史的品々を展示しております。

    古しえの家

    宮城県・古川市の民家で、江戸後期に作られた平屋木造建築物です。雪国の為、柱は50センチ程もある太さで、荒々しく手削りされております。また、くぎ、くさび等を使用しない組立工法であるのも特徴です。内部では旅館の歴史(帳場)や屏風を展示、歴史を物語ります。

    雅の蔵

    中山町より移築した座敷蔵です。槐(えんじゅ)という贅沢で、縁起がよいとされている木を用いて建造されました。内部には、山形城主・最上家・水野家等ゆかりの品々、武具や装飾品などを展示しております。

    彌平治亭

    中山町長崎の豪商の母屋です。江戸末期の木造建築で、最上川の船場に位置していた家を復元しました。京文化の影響を強く受け、細めの柱が特徴的です。内部には古美術の車箪笥・長持ち・古美術の神棚を展示しております。お食事処・御休憩の場としてもご利用ください。

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  • 蔵王高湯 わらべの里

    営業時間AM9:00~PM5:00 (定休火曜日)
    料金一般800円→宿泊者400円
    中学生以下400円→宿泊者200円

    アクセスマップ

    蔵王高湯 わらべの里ページ>>

    「わらべの里~ミュージアムガイド~」

    期間限定•予約制で「わらべの里」を約1時間30分かけて、ミュージアムガイドがゆっくりと展示物を紹介しながら、四棟ある美術館をご案内致します。
    山形や蔵王の歴史の奥深さを知り、神秘的な美術品の数々を鑑賞する、貴重な体験を楽しむ事が出来ます。

    期間毎週 土日(GW・お盆・連休)
    料金お一人様1000円→宿泊者は500円(入館料含む)
    申し込み当日までわらべの里に電話でお申し込みください。
    TEL 023-693-0093
    概要午前の部
     10:30 現地集合
     10:30~12:00 ミュージアムガイド
    午後の部
     14:30 現地集合
     14:30~16:00 ミュージアムガイド
    備考急な休館や天候状態などにより中止となる場合がございます。開催可否は事前にお問い合わせください。
    歴史的に貴重な展示品が並ぶため、過度にお酒を召した方は参加をお断りする場合がございます。

    トップ画像:飾り皿「松に鷹」

    江戸時代に作られた飾り皿です。当時「松に鷹」の図は高見屋のトレードマークとして様々な食器などに使用されました。

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